その3
時ちゃんの話は続く
時ちゃん「アメリカでもカルピスがあるんだけど名前が違うんだカルピコっていうんだよ」
時ちゃん「カルピスっていうと牛のおしっこって意味になっちゃうんだって」
私「へえ~おもしろいね」
そんな話を時ちゃんとし一夜を過ごし眠りについたところでハプニングが起こる。
もう真夜中なのにホテルの電話が鳴り出した。
びっくりして目を覚ました。
おそるおそる受話器を取り上げ手始めに「ハロー」と言うと向こうから泣き声がする。
寄せ集めツアーでロサンゼルスで一緒に旅したトコちゃんからだった。
私「どうしたの?」
トコちゃん「顔が赤くなってボツボツができているの」
彼女は知り合いと会うはずだったのだが予定が変更され2日後になってしまって今一人だと言う。
ホテルのフロントで夜でもやっている病院を聞く。
時ちゃんにも助けを呼びレンタカーを借りて三人で病院へ行く。
ナースがアレジー?アラジー?と聞いてくる。
英語が堪能なトコちゃんは放心状態で頼れるのは時ちゃんしかいなかった。
しかし1年半住んでいる時ちゃんでさえ何を言っているのかわからなかった。
スペルをナースに言ってもらって辞書を引いて調べたらアレルギーという意味らしい。
なんだなんだそうかトコちゃんはアレルギーを持っているのかと聞いていたんだなと。
アレルギー、エネルギーって日本語英語だったんだ。
注射一本でトコちゃん容態は安定し無事でよかった。
でも病院代はめちゃくちゃ高かった。
その場では現金を払わなくてはならないがツアー代にもしもの時の保険があって後から戻ってくるとのことだった。
次の日、時ちゃん、トコちゃん、私、三人でロサンゼルスのディズニーランドへ行った。
まだこのころには日本にディズニーランドはなかった。
アトラクションに入る前に入り口で順番を待っている時
前にいる人たちが話しかけて来た。
わからない言葉だけど君たちはナニジン?と聞き
時ちゃん「ナニジンだと思う?」と返した。
前の人「チャイニーズ、コリヤン?、インド?、ベトナム?」
っと全然日本が出てこない。
当時はやっと日本の経済は良くなってきたのだがまだまだでアメリカなど外国へ旅行できるようになった初期のころだ。
ところで初めてディズニーランドへ行っていくつもアトラクションを楽しんだはずなのに
夢見心地だったのか時差ボケかあまりおぼえていなかった。
それよりも車だ。
まずのディズニーランドの駐車場は広いのなんのそんな事に驚いた。
どこに車を止めたのかわからなくなっちゃう。
アメリカは進んで車社会だ。
そして今でこそ日本でも当たり前になったけれどすでにガソリンはセルフ給油だった。
時ちゃんから聞いた話なのだが国際運転免許を持っていたが
アメリカで運転するのが不安なので教習所へ行った。
すると教官が免許があるのに何だという。
アメリカではまだ免許をもらっていない段階なのに教習所にいくときに車で
免許を受ける本人が車を運転して行くのは認められていたのだ。
おかしな話だろうと思うけど当時では運転できないやつに免許は渡せられないということだ。
さて2日目の夜に知人が来てホテルを出て行った。
時ちゃんは1つサプライズを用意していた。
それが映画の「地獄の黙示録のチケット」である。
その映画はまだ上映したばかりで話題になる前にチケットを入手することができたらしい。
新聞配達時代の時に1ヶ月最低で3回ぐらいは見ていた。
映画の広告として新聞を配っていたから新聞配達員はある程度優遇されていたので映画は見放題だったのだ。
いざアメリカで映画を見たのだがを日本語吹き替えでもないし日本語訳もないので
話の内容はわからなかったが迫力のあるアクションシーンのおかげである程度は楽しめた。
時ちゃんから感想を聞かれたがただただ面白かったと言っておいた。
アクション映画ではなく恋愛映画だったら多分退屈で寝ていたかもしれない。
私は何の計画もなしに時ちゃんの誘いを聞いてアメリカに着たのですべて彼におまかせしていたのもあってこればかりは仕方がなかった。
3日目は旅行へ行こうと時ちゃんはレンタカーを借りた。
私としてはアメリカのロサンゼルス来ているのですでに旅行なのだが旅行の中の旅行ということなのだろうか。
時ちゃん「サンフランシスコへ行こう」
私「飛行機で2回目の着陸がサンフランシスコだったんだけど」
私「外には出てなかったな。」
アメリカのいろんなところやいろんな景色が見れることに内心ワクワクしていた。
しかしロサンゼルスからサンフランシスコまで約6時間かかる。
長い橋、そして坂道、真ん中に電車が橋って、窓をから海岸を眺めて
時ちゃんの運転に身を委ねていたが道の途中でふと日本の道路を走っているかのように思えた瞬間もあった。
次に時ちゃんはカナダに行こうとひたすら北へ向かって走らせる。
長い距離を走るためガソリンを1日に2回くらい入れた。
レンタカーなのにこんなに酷使していいのだろうか。
やっとオレゴン州を掠めたがこれ以上行くと帰りの飛行機に間に合わなくなってしまうので仕方なくUターン
ずっと時ちゃんは運転していたので流石に疲れているだろうと
運転を交代してやろうと思ったが彼は踏ん張ってアクセルを踏んでハンドルを握りまだやれると意地を見せる。
しかし流石にダウンして運転は私が変わった。
アメリカで車を運転するのは初めてだが緊張と好奇心が入り混じりながらアクセルを踏んでハンドルを握った。
時ちゃん「アメリカで運転するのは初めてでしょ?」
時ちゃん「左ハンドルで道路だって日本と反対で左側なんだよ」
私「ちょっと変な感覚だけど慣れればなんとかなるかも」
時ちゃんがとなりでアメリカの道路状況や運転を教わりながら
ぎこちなくハンドルを回し、慎重にアクセルを踏んでその都度ブレーキにも力を加えて踏み込む。
まさかこんな形で教わる立場になるとは思いもしなかった。
新聞配達時代で初期のころ頼りなかった時と比べて成長したなと感じた。
それにしてはアメリカの道路は広く車線も何本かあって日本とは比べ物にならないくらいだった。
もっと日本がお金があって国土も広かったらなと日本の土地の狭さも実感した。
車で時ちゃんと二人だけでいろいろな話をした。
時ちゃん「アメリカの普通の道路じゃしょっちゅう手を振ってヒッチハイクする人がいるんだよ」
私「え~タクシーじゃあるまいし」
時ちゃん「でもここじゃそうなんだよ」
時ちゃん「乗せてやったらさ急に豹変して金を出せとかいわれたんだよ」
私「それ最悪だな」
時ちゃん「嫌な思いしたよ。財布に入れてたお金全部やったけどあの時全然お金もってなかったから本当に助かったよ」
時ちゃん「アイムジャパニーズ!アイドントスピークイングリッシュ!なんて言ったら」
時ちゃん「お前英語喋れるじゃねえかふざんけんな!って怒られたよ」
私「はは皮肉が利いてるね。とりあえずダメージを少なくてよかったんじゃない」
私「ところで時ちゃん目が良くなったの?眼鏡外しているの見て今更気づいたんだけど」
時ちゃん「いや眼鏡やめてコンタクトレンズにしたんだ」
私「そうだったんだ。」
私「日本にいたときと比べて印象随分変わったね。」
私「時ちゃんは目に関する本をたくさん読んでいたから成果がでたのかと思ったよ」
時ちゃん「へへ眼鏡よりコンタクトレンズがいいって言われたからさ」
私「やっぱりそうか」
相変わらず良かれと思ったことはすぐに実践してやってしまうようだ。
私「ところでコンタクトレンズって眼鏡とどう違うの?見え方とか」
時ちゃん「よく見えるよ。初めの頃は目に入れるのが怖かったけどね」
私「怖いのににやるんだね」
時ちゃん「物は試しって言うだろ。けどおかげで眼鏡使わなくなってもよくなったし」
私「夜、寝るときは外すの?」
時ちゃん「そうだけどたまに昼寝するときは上唇に入れて寝ちゃう時があったんだ」
時ちゃん「なんか言われたんだけどコンタクトレンズは使いまわしたりせずこまめに消毒したり常に新しいの変えろって言われている」
時ちゃん「細菌が目に入って下手すると失明するって言われている。」
私「え~危険じゃんだったら眼鏡のほうがよくない?」
時ちゃん「それでもコンタクトレンズが気に入っているから。」
時ちゃん「それとちゃんと言われたことは守っているから安心して」
言われたことを守ってコンタクトレンズを消毒したり新しいのに取り替えているようだ。
良かれと思ってすぐに行動に移す癖はこんな形でいいように働くこともある。
アメリカの遊行の最後の1日はロサンゼルスの町を歩いた。
その中に日本人街と言う所を散策した。
時ちゃん「日本の物がここで買えるんだよ。」
時ちゃん「それに英語が喋れなくてここでは困らないよ」
時ちゃん「日本が喋れる人がたくさんいるからね」
私「ある意味日本人の居場所みたいだね」
外国に来たのに日本の物を買うというのは変な話だ。
しかし何かあったときは頼りになりそうで有難く感じた。
きっと時ちゃんもここでお世話になったはずだ。
時ちゃん「決死の覚悟でアメリカに来て、その後どうなるか不安だったけどなんとかなるもんだよ」
時ちゃん「生活費とかも先輩のつてでバイトすることができたし日本人は勤勉ということであっちこっち任されたよ。」
時ちゃんと別れを惜しみ私は日本へ帰った。
それから3年ぐらいが過ぎた時
朝の仕事を終わらせて私が住んでいる帝国会館に戻ってきていた玄関を開けたら時ちゃんがいた。
時ちゃん「おかえり」
私「それ言うのは俺の方だろう」
いつでも勝手に仲間が入ってくるので鍵をかけていない。
住居のセキュリティは仲間に任せていたのだ。
だがアメリカにいるはずの時ちゃんがいるのは驚きだった。
時ちゃん「お茶淹れといたよ」
私「ありがとう、ところでどうして日本の帰ってきたの?」
時ちゃん「ああ~グリーンカードを貰おうと思ってね。」
時ちゃん「そのために書類をいくつか揃えないといけないか日本に戻ってきたんだ」
私「グリーンカードってなに?」
時ちゃん「グリーンカードってグリーンカードだよ」
その時グリーンカードはなんなのかわからなかったが、ようするに永住許可証らしい。
どうやら時ちゃんはアメリカに永住したいそうだ。
私「嫌になって帰ってきたのかと思ったよ」
時ちゃん「あのときの俺だったらそうだったかもしれないね」
私「そうか~アメリカに永住するんだ。」
時ちゃんのアメリカの暮らしぶりを見ていたが彼は生き生きとしていた。
永住を決意した理由は聞かなくてもわかっていた。
冗談交じりで無責任な私の提案が時ちゃんの人生の転換点となるとは思いもしなかった。
時ちゃん「これから故郷に戻って市役所へ書類をもろもろ揃えてくるよ」
時ちゃん「夕方くらいにはう~ん夜になっちゃうかもな」
時ちゃん「帰り遅くなると思うけど泊めてもらっていいかな?」
私「時ちゃんよ、もちろんいいんだけど、故郷に戻るんだったら家族に一度顔を合わせたほうがいいんじゃない?」
時ちゃん「う~ん」
深く考え込んでうなずいている。
家族と再開するのをためらっているようだ。
アメリカの暮らしに気に入っているみたいだが永住を決めた理由は他にもありそうだ。
それについては一応聞かないことにした。
だが下手したら疎遠になる可能性もあり本人はそれを望んでいるかのように思えたが
かつての仕事仲間として喝を入れて口火を切って家族に会うように説得した。
私「せっかくなんだし行ったほうかいいよ!顔だけでも出してきたら?」
私「時ちゃんのこと家族は心配してないの?」
時ちゃん「心配してるかわからないけど一度も帰ってこなかったらビックリするかな」
時ちゃん「5年前にアメリカへ行くって手紙だしたきりだし」
私「何か言われても仕方ないかもね。」
私「布団も用意しておくから。」
私「少なくても俺だけは味方だから。」
時ちゃん「ありがとう。じゃあ行って来るね」
重い足取りを軽くしてあげた私は時ちゃんを見送った。
故郷の戻った時ちゃんだったがなかなか戻ってこなかった。
何か重大なことがあってまさかアメリカではなく故郷に戻ることを決断したというのか
時ちゃんの壮絶なシナリオを頭に浮かべながら用意した布団を見つめていた。
3日過ぎてやっと戻ってきた時ちゃんはボーとして放心状態だった。
私「どうしたの?遅かったね」
時ちゃん「親父が死んだんだ‥」
時ちゃんの発する凶報に言葉がでない。
時ちゃん「市役所で用を済ませて家に戻ったんだ。」
時ちゃん「10年ぶりだったけど何も変わってないなと思いながら」
時ちゃん「ただいまっていいながら玄関を開けて入ったら人がいっぱいいたんだ。」
時ちゃん「するとすぐに兄貴が来て親父はほんの少し前に死んだって言われたんだ。」
それで葬式とかいろいろあって3日くらい経ってしまったそうだ。
時ちゃん「親父は俺の帰りをずっと待っていたんだって‥」
時ちゃん「死に際でも俺のこと思っていたらしくて」
時ちゃん「もうすぐ帰ってくるって言ってたんだ」
私「事前に帰ってくるって連絡してなかった?」
時ちゃん「いいやしてなかったな。けど俺が帰ってくることを察していたのかな」
私「なんか偶然だね。」
時ちゃん「生きてるうちに会えばよかった‥」
心の穴があいてしまった時ちゃんを満たすことはできないがお茶を淹れてあげた。
私「時ちゃんの父さんはちゃんと時ちゃんのこと見ていたんだと思うよ。」
時ちゃん「でもありがとう。家族に会ったほうがいいって言ってくれて」
時ちゃん「それでこんなことになっているって気づくことができたから。」
また1つ時ちゃんの中に成長が芽生えたかもしれない。
時ちゃん「親父の仏壇の前で親父に伝えたんだ。」
時ちゃん「アメリカで青春を謳歌するってな。」
グリーンカードを握り締めながらそう決心したそうだ。
私「やっぱりアメリカに行っちゃうんだね。」
時ちゃん「ああ!これで心置きなくアメリカで暮らせる!」
こうして後日、空港にて時ちゃんを乗せるアメリカ行きの飛行機が飛び立つ姿を見送った。
きっと時ちゃんの父親の魂も一緒に旅立ったはずだ。
時ちゃんとは4半世紀以上の付き合いだったが知り合った友人の中でも印象に残る人であった。
戻る