その2
新聞配達の2年目から有給という休みを取ることができる。
時ちゃんが入店してから4年目を迎える冬のこと、
その年は珍しく仕事をやめる人も少なく1年私も時ちゃんも代配していたが
比較的に休みが取りやすかった。
時ちゃんは通常の休みと有給を合わせて10日ほどの連休をしていた。
私「よう時ちゃん10連休も一気に取って何かあるのか?」
時ちゃん「いや何もないよ」
私「じゃあ旅行でも行こうか!ここにいると仕事頼まれることあるからね」
時ちゃん「そうだね。旅行でも行きますかね」
時ちゃんは旅行の本を買ってパッと広げて開いたページのところに行こうと決めた。
それが北海道だった。
さっそく明日、飛行機で北海道へ
何の準備も下調べもしていない完全初見で時ちゃんと旅行に出かける。
おまけと言うか季節は真冬である。
着いた途端に「寒い!」って当然である。
夜の雪降る札幌の町をトボトボ歩く。
やっと見つけた小さなホテル
かじかんだ手をこすりホットしたと
ツインルームで時ちゃんが次は九州へ行くと私に告げた。
一緒に行くかと誘われたが断った。
私「あ〜ごめん行けないや仕事あるから」
時ちゃん「そうか〜じゃあお土産買っておくよ」
時ちゃんは一人で今度は九州へ行った。
私は仕事があったため一緒には行かなかったが時ちゃんはまだ休みが残っていたのだ。
北海道は寒いが九州なら暖かいから行くのだろうと私は思っていた。
時ちゃんが満足げに東京に帰ってきた。
それで時ちゃんは周遊券を使ったと話し
北海道であった旅人から聞いた早速周遊券を使ったらしく電車が乗りたい放題だったと言う。
私と時ちゃんが北海道に行った時にホテルでチェックインしたあと私と時ちゃんは別行動となり
時ちゃんはそのホテルで親切な人(旅人)と出会ったらしい。
時ちゃんと出会ったその人が周遊券なるものを持っていて数日電車が乗り放題といい話を聞いたそうだ。
これは安い便利と時ちゃんは飛びついたのだ。
私はビックリして唖然とした。
私「時ちゃんよ周遊券使ったなら行き帰りの電車代も入っているんじゃないの?」
時ちゃん「そう言えば、かなり高いなと思ったんだけど」
私「オイオイ北海道で九州の周遊券を買ったんだからそりゃ高いじゃん!」
私「でも九州行ってそのまま東京に戻ってきたから往復の電車賃は払い戻しできるんじゃない?」
時ちゃん「ま!しょうがない、イイがね、面倒くさい」と。
倹約家というよりケチな時ちゃんはボディービルとか体に良いものぐらいしか
お金は使わないのだがそれがひとたび箍が外れたのようにお金を使い出す。
ちょっと考えられない様な使い方をしてしまう。
またこんなこともあった。
時ちゃんは私のマネしてステレオも買った。
あまり音楽に興味がないくせにだ。
時ちゃんは深刻な顔をして私の所へ来た。
時ちゃん「俺、何やってんだろう」
時ちゃん「一番は家にいたくなかったんだけど、英語を勉強しに来たはずなんだけど」
時ちゃん「すぐに学校やめちゃって」
私「それゃそうじゃん自分からやめたんだから、家族も俺も止めたのに馬鹿じゃない?」
時ちゃん「だって学生は女性ばかりで、女性との付き合いも悪かったし耐えられなかったし」
時ちゃん「どうすればいいのかな俺?」
私「知らん」
時ちゃん「ええええお願いよ!いったい俺は何者なんだ!何をすればいいんだ!」
時ちゃんは床で転がりジタバタした。
それを見て私はため息した。
時ちゃんの人生の変革期が訪れたのだろうかあまりにも遅すぎる。
私「そうだな。だったら彼女でも見つけたら?」
私「ほら!学校では女性との付き合いが悪かったからその克服にどうかな?」
私「ついでに英語ができる人がいいんじゃない?」
私「そうだ今度は海外旅行兼英語修行なんてどう?」
私「アメリカとかイギリスとか行けば嫌でも英語も覚えられるんじゃない?」
っと私は助言とは程遠い無責任なことを行った。
時ちゃんは床で横になったままこちらを変な目で私を見る。
ゆっくり時ちゃんは立ち上がるが肩を落として下を向いて帰ってしまった。
ちょっと失礼なことをいったのが時ちゃんに響いてしまったのかもしれない。
流石に海外旅行にはいかないだろうと思っていた。
しかし3月に入ってすぐ時ちゃんが私のところにへ来て
時ちゃん「俺決めたよ。アメリカのロサンゼルスに留学する。」
私「なんだってーーーー!?」
私の無責任な海外での修行を真に受けていたようだ。
私「でも時ちゃん大丈夫なの?」
過去に英語の学校を中退している。
また扱う英語のレベルも思っていたものとは違うほど高かったと言っていた。
英語のレベルもさることながらネイティブなものまで幅広い文化があるアメリカで時ちゃんはやっていけるか心配である。
もう時ちゃんが決めたことは止められない。
時ちゃん「ボストンバッグ買ってきたんだ。」
時ちゃん「でもそんな全部は持っていけないからトランクルームに荷物を預けようと思う」
時ちゃんは自分が集めていたものやボディービルを目指していたときのものであり
ほぼ5年分だがこの荷物は本人にとっても私にとってもいい思い出にでも負の遺産にでもなり得る。
時ちゃんは捨てられないし勿体ないということでトランクルームにその荷物を預かろうとしている。
私「時ちゃんどれくらいアメリカに住むつもりなんだい?」
時ちゃん「わからない、一年か二年か何年になるかわからない」
私「だったら俺が荷物預かってやるよ。」
アメリカに留学するという時ちゃんの決意を評して私は時ちゃんの荷物を預かることにした。
どうせすぐに泣きべそかいて帰ってくるだろうし中途半端に長く住んでいしまって費用だけがかさみ
さらにトランクルーム代のダブルパンチを食らうというシナリオも浮かび見ていてこっちは甘い汁を吸えるが
可哀想なので荷物だけ預かってやろうと思ったのも理由の1つだ。
そのとき私は帝国会館でという名のアパートに住んでいた。
4帖半なのだが床の間があり、物置があり出窓がありまだ空間に余裕があった。
時ちゃん「いいの?」
私「いいよ〜預かっておくから」
私も随分懐が深い男になったものだ。
時ちゃんがアメリカに出発する日が来た。
時ちゃんは前日まで仕事をしていた。
私が時ちゃんの部屋を覗くと時ちゃんはボストンバッグと格闘していた。
服を丸めて入れているし一番変に思ったのは空になっているマッチ箱がいっぱいだった。
時ちゃん「もっと持っていきたいんだけど入りきれないんだよね」
私「マッチ箱なんて必要なの?」
時ちゃん「俺のコレクションなんだ。」
私「置いてけ!それよりもっと必要なものだけで持っていけ!」
時ちゃん「いやだ俺にとっては必要なものなんだ!」
時ちゃん「俺はマッチの売りの少女を超えて成り上がるんだ!」
私「はあ!?」
このマッチ箱は時ちゃんにとってコレクションだという所以は電気代の節約のためだったらしく生きた証だとも言う
まったく変なやつだ。
そんなこんなでバタバタの慌ただしい時ちゃんの渡米となった。
時ちゃんが渡米してから10日もしないうちに手紙が届いた。
その中には貯金通帳と印鑑が入っていた。
アメリカの入国審査で言葉があまりにも通じないこともあって観光ビザしか貰えなかったそうだ。
それでビザの変更に銀行の残高証明書がいるのだとか。
それを頼むということだった。
しかもこの貯金通帳と印鑑を保管しておいてくれとのこともかいてあった。
昔は今ほど個人情報の扱いに厳しくなかったのですぐに依頼を済ませておいた。
貯金通帳の残高はかなりの額が入っていた。
心の中に悪魔が現れそうだったが私の心の中の天使が勝ちぐっとこらえた。
時ちゃんは私を信用してこの貴重品を預かってほしいということだったのだろう。
あ〜なんて私は懐の深い男なのだろう。
あ〜事故って死んでくれないかな〜ああいけないいけない本音が漏れてしまった。
それから少なくても一ヶ月に一度くらいは手紙のやり取りをしていた。
時ちゃんがアメリカへ行ってから1年半ぐらい経ったときのこと
アメリカに遊びにこないかという誘いの一通が届く。
アメリカのロサンゼルスで会おうという話だ。
私は行くと手紙に返事を書いていたが
私が来ることを見越したのかのように誘いの内容の中には持って来てほしいリストが書いてあった。
全部揃えるだけでボストンバックは一杯になってしまった。
時ちゃんの持ってきて欲しいリストには平凡パンチ、プレイボーイという雑誌があった。
私の荷物は3日分ぐらいの服だけにして全部時ちゃんの頼まれた荷物だけにした。
まさか時ちゃんが1年も長くアメリカに滞在していたとは感心である。
それもあってか時ちゃんの頼みを応じてやろうと思ってこうしたのだ。
当時、円、ドル、レートが1ドルが200円を切っていた。
戦後1ドル360円と決められていたが首相の取得倍増計画なにやらで
日本が少し強くなってきた。
だから外国へ行くのも経済的に楽になってきた。
搭乗員なしの寄せ集めのツアー
ハワイでアメリカへの入国手続きを済ませ入管した。
その時私の前に新婚カップルが入管員のアメリカ人に言われて困っていて自分に助けを求めてきた。
いやそれは私だった。
英語なんてからっきしな駄目で高校時代は1に限りなく近くでやっとこさ卒業できた。
こんな私が海外旅行とは時ちゃんはよりも無謀といえる。
友達のために私は遥々アメリカの大陸に足を踏みいれようとしている。
目指すは我が友、時ちゃん。
さてこの言語の壁をどう乗り越えるべきか
すると私のすぐ後ろにいた小柄の丸い眼鏡をした女性が横から出ていてくれて助け舟を出してくれた。
英語で喋っている。うまいのなんの舌を巻く。
名前はトコちゃんというらしくどこか我が友人、時ちゃんと親和性を感じる。
次に入管が私の番だ。
ボストンバックを開けられ荷物検査になりほとんど全部時ちゃんの荷物だったが
その中のプレイボーイと平凡パンチを入管検査員がペラペラ捲ってみている。
そしてカタコトな日本語でキレイねって
こっちはみんなに見られて恥ずかしい思いをして時ちゃんめ!っと彼を恨んだ。
ツアー客の半分以上はハワイ行きでそして次に飛行機が止まったのはサンフランシスコ、8時間くらいのフライトだった。
ここでツアーのほとんどはサンフランシスコまでとなりロサンゼルスに行くのは三人だけになってしまった。
ロサンゼルスの空港についた。
そこには現地のガイドさんが迎えに来てくれた。
そして一人は別の方へホテルに行くのは私ともう一人トコちゃんだった。
まさかトコちゃんも一緒だったとは。
ホテルに到着してすぐに時ちゃんがやって来た。
その日はというと到着したのが夜だったため時差のせいもあってあまり眠れないし飛行機の中で寝ていた。
感動の再開もつかの間久々に時ちゃんと苦労話を聞いた。
時ちゃん「俺から1から英語を学ぶためにスクールに通っているんだ。」
時ちゃん「やっぱり日本とは全然違ったよ」
時ちゃん「アメリカに住んでいろんな人にあったんだけど」
時ちゃん「みんな普通のような特別なようなよくわからないけど言葉では言いあらせない感じだった」
私「そういうのって日本人もいや世界中のみんなも同じじゃない?」
私「時ちゃんが哲学みたいなことまで言い出すくらいアメリカでいろんなこと学んできたんだね」
時ちゃん「まあそういうこと」
時ちゃん「1年半過ぎたけど最初は大変だったけど慣れてそのあとは時間があっという間って過ぎちゃう感じだね」
私「日本の英語の専門学校をリタイアした人がアメリカに1年半も滞在しているとは大したもんだな」
時ちゃん「みんな親切な人ばかりで助けられたってところもあるけどまあもちろん辛くて大変なこともあったさ」
時ちゃん「けどそれよりなんかこのままなんの成果もなしに泣いて日本で帰ったら示しがつかないじゃん」
私「そっかそっか、年くったセイもあるんじゃないの?」
時ちゃん「そうかもね」
時ちゃん「あと荷物預かってくれてありがとう」
私「あ〜それ捨てといたよ」
時ちゃん「ええ!!」
私「嘘だよ〜」
私は時ちゃんに頼まれた荷物を渡した。
すごく焦った顔の時ちゃんを見て面白かった。
時ちゃん「もう驚かせないでくれよ〜」
私「ところで先立つお金はどうしてるの?スクールに通っているって聞いたけどお金すごくかかるんじゃない?」
時ちゃん「まあそうだなそれがさアルバイトを学校から紹介してもらったんだ」
時ちゃん「仲間や先輩からね。受け継ぎみたいな感じで」
最初はレストランで皿洗いのバイトからやって次に英語がすこし上手くできるようになったらベルボーイの仕事もしたそうだ。
これなどは日本では考えられなかったというのか自分が知らなかっただけかもしれないがお客様からチップをもらうそうだ。
チップとは何なのか私にはさっぱりであった。
チップはアメリカでは文化的なもので感謝の気持ちを表すもので、さらにはお金と同じようなものだが相場は場面によっていろいろ違うらしい。
今時ちゃんが住んでいるところはロサンゼルスの街を見下ろせる高さにあってそこに家があり
母屋の隣りにある一屋が与えられていた。
母屋よりは小さいがシャワー室も完備されていて快適に暮らせそうな雰囲気だ。
母屋では男二人が住んでいるらしいがまさかのこの二人は同性愛者だったのだ。
私はそれを聞いて驚いた。
男同士、女同士が同居することは珍しくはないのだがそこから一線を超えていくとは時代は進んでいるのだなと実感する。
考え方もいろいろ違うかもしれないがなによりも時ちゃんが彼らと仲良くしているのを見て
時ちゃんのアメリカの暮らしぶりがわかってよかった。
続く
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